阿波人形浄瑠璃月間 ジョールリ100公演
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徳島で行われる人形浄瑠璃のうちこの外題が半分を占めるのではないだろうか。人口に膾炙された有名な外題。徳島の人形座でこの外題の出来ないところはない。
いわゆるご当地もの。徳島藩のお家騒動に絡んで、阿波の十郎兵衛・お弓の夫婦は主君の盗まれた刀を詮議するため大阪玉造に盗賊銀十郎と名を変え住んでいる。そこへ巡礼姿の娘お鶴がはるばる徳島から父母を尋ねて来る。お弓は我が子と分かるが、そこで親子の名乗りをしたのでは、我が子にどんな災いが来るとも限らない。お弓は涙を飲んで別れる。名残惜しげに見送るのだが、ここで別れては今度いつ会えるか分からぬと追いかける。ここまでが順礼歌の段。十郎兵衛住家の段では、お弓と別れたあと、十郎兵衛はお鶴と出会う。我が娘とは知らない十郎兵衛は、金欲しさに我が子に手をかけ殺してしまう。 明和五年六月大阪竹本座で初演された。近松半二、竹田文吉らの合作といわれる。
 
木偶が入った二つの木箱を天秤棒で担いで移動し、街角で人形芝居を演じたことから箱廻しと呼ばれた。箱廻しには、正月に門付けした「三番叟・えびす」の祝福芸と、「傾城阿波鳴門」などの外題を街角で演じたものがあった。祝福芸は、五穀豊穣・商売繁盛・無病息災を祈り、人形芝居は民衆に娯楽を提供した。明治初年には、阿波の箱廻し芸人は二百人を数えたといわれ、彼らは、阿波系の人形文化を木箱に詰めて全国に運んだ。しかし、娯楽や生活様式の変化により、箱廻しは一九六〇年代姿を消した。
 
忠蔵と左代の兄妹が、仇敵を追って敵討ちの旅にでたのが三年前。長い旅路のはてに弘法大師のお告げを聞き、阿波の霊場十三番札所大日寺奥之院建治寺にやってくる。そして、建治の滝で滝行をしている宿敵石川藤斎に巡り会うが、藤斎は人々に崇め慕われている貞阿上人その人であった。仇討ち装束に身を固めた兄妹は、滝行をする無心の上人に後ろから斬りかかろうとする。目に入る「正道頓悟居士」と彫られた背中 の入れ墨。それは亡き父の戒名であった。そのとき、天にわかにかき曇り雷鳴轟く雲の彼方から、建治寺の本尊蔵王大権現と亡くなった父正作が現れる。父は兄妹に、藤斎のこれまでの所行を語って聞かせる。故意に殺めたのではないこと、返り討ちにしてくれとの書き置きはお家再興を奮起させるためのものであったこと、正作の戒名を入れ墨にまでして菩提を弔っていたこと、大勢の人々に功徳を施し幼かった兄妹のことはかたときも忘れなかったこと、再仕官をさせるため無抵抗で討たれる覚悟をしていること等々である。真実を知らされた兄妹は、仇敵藤斎憎しの考えを改めて、藤斎の功徳に感謝すると共に、悲願であるお家再興を胸に秘め、心静かに国元へ帰っていく。
 
忠京の大名が美しい妻を授かりたいと、これも独身の太郎冠者を連れて四宮の恵比寿神社に参詣します。祈願を込めて内陣でまどろむうち、西門の一の階段にいる女を妻にせよとの夢をお告げがありました。太郎冠者のお告げもその通りです。喜んだ主従が西の門に到着すると、一本の釣竿が落ちているばかり。大名は釣好きの恵比寿様のことゆえ、これで妻を釣れという意味と悟ります。果たして大名が釣り糸をたれると、見事美しい上臈が釣り上がりました。仲睦まじく祝言をする二人を見て、太郎冠者の気持ちは焦ります。自分も早く美しい妻を得ようと大名から釣竿を借り、祈念を込めて釣糸をたらしました。と、これも見事女を釣り上げます。大名の妻にも劣らぬ美女と早合点した太郎冠者は、祝言だ、花見だ、涼みだ、月見だ、雪見だとすっかり有頂天になってしまいます。ところが、被衣を取ってびっくり仰天、二目とは見られない鰒のような醜女だったのです。醜女は太郎冠者に一目惚れ。最前の太郎冠者の言葉をたてにとり、離れはしないと取りすがります。しょげかえる太郎冠者。大名が喜びの舞いを舞ううち、太郎冠者は大名の美しい妻を盗んで逃げようとします。怒った大名と醜女はその後を追いかけるのでした。
 
五段続きの時代物。秋月家の娘深雪が恋人の宮城阿曽次郎を慕って家出し、盲目の門付芸人朝顔となり、恋人の残した歌をうたいながら流浪する哀話。もともとはお家騒動が背景になっているが、現在上演されるのは「宿屋の段」で二人の恋物語が中心。 京都で儒学を修めている宮城阿曽次郎は、宇治川へ蛍狩りに出かけ、そこで秋月弓之助の娘深雪と知り合い、ふたりは恋仲となる。が、阿曽次郎は伯父駒沢了庵の命により、大磯で廓遊びをする主君に諌言するため、すぐに出発しなければならなくなる。そののちこれでもとばかりにすれ違いが続くが、この「宿屋から大井川まで」では、役目を終えた阿曽次郎と島田の宿で出会いながら、目を泣き潰し盲目になっており、目の前にいるのが彼だとはわからない。阿曽次郎も相役の手前名乗らない。この後でそれと知った深雪は半狂乱になって後を追う。天保三(一八三二)年、竹本木々太夫座初演。
 
鳥羽法皇の寵姫であった「玉藻前」は、実は金毛九尾の狐であると陰陽師安倍泰成に見破られて、那須野に逃げたが殺される。その霊は石と化し近寄る人や動物を殺したという伝説を脚色した謡曲『殺生石』と鳥羽天皇の兄の薄雲皇子の反逆事件を題材にしたもの。 薄雲皇子は、鳥羽天皇の兄だが皇位につけなかったことを恨み、獅子王の剣を故右大臣道春の館から盗ませる。また、道春の娘、桂姫にも思いを寄せている。道春亡きあとの右大臣家は後室萩の方が守っているが、そこへ薄雲皇子の使者鷲塚金藤次があらわれ、剣を差し出すか、桂姫の首を渡すかと迫る。ゆえあって桂姫は金藤次に殺され、桂姫の妹、初花姫は玉藻前と名を変え、入内することになる。そして玉藻前には妖狐が成り代わる。 妖狐が化けた玉藻前に使われるのは「玉藻前」と呼ばれる特殊な首のひとつ。仕掛けの糸をひくと娘の顔が狐の顔に早変わりするのも、見どころのひとつだろう。
 
三番叟の始まりは、能の『翁』からと伝えられている。神聖なものとして第一番目におかれ、神社の祭礼に奉納されてきた祝儀曲である。天下太平、五穀豊穣、家内安全を祈願するもので、物語は特にない。三番叟は毎年正月には宮中で上演され、縁起のいいものとして、今でも、舞台では公演の無事と成功を祈願して行われる。また新築棟上げや落成式、結婚式など目出たい席で上演されることがある。 青年座の上演する「寿式三番叟」は、二人の三番叟が連れ舞い、鶴の舞、鶴亀の踊りがあったり鈴をもって種まきのしぐさがあったりする。曲に合わせて、だんだんと踊りも激しくなり、やがて、一人が舞い疲れて休もうとする。もう一方が引きとどめ「いっしょにおどろう」と、最後まで舞い納める、ユーモアあふれる出し物である。
 
近松門左衛門が丹波与作の伝記をもとに書いた「待夜小室節」が原作。全十三段で、十段目が「重の井子別れ」。 由留木(ゆるぎ)家の息女調姫(しらべひめ)は、関東へ下って入間家へ嫁入りすることになるが、幼い姫は父母に別れて東国へ下りたくはない。出立の間際になって「いやじゃ」と言い出し、そこで姫の機嫌を直すために玄関から呼び込まれたのが、自然生(じねんじょ)の三吉と呼ばれる子供の馬子。三吉の話から姫は東国へ興味を持ち、出立する気になる。 三吉に褒美を与えようとした乳人重の井は三吉こそ、別れた夫伊達与作との間にできた一子、与之助であることを知る。かつて調姫の母に仕える腰元だった重の井は、同じ家中の伊達与作と不義密通。後家の御法度を犯した罪で二人とも死罪になるところを、重の井の父定之進が切腹して愁訴し、調姫の母が重の井と同時に出産して乳人が必要という訴えによって与作は追放、重の井は乳人になった。 そうした事情がある以上、いま三吉と母子と名乗ることはできない。もし乳人に馬子の子がいるとなれば、調姫の縁談にもひびきかねない。この結婚はあくまで政略結婚であるから、不調となってはお家の存続にも関わる。重の井は泣く泣く三吉を追い返し、調姫とともに東へと旅立って行くのであった。 見所はまさに_子別れ_。母と子が名乗ることもできずに別れるという話は「傾城阿波の鳴門」にもあるが、「重の井子別れ」は、その典型。
 
「三つ違いの兄さんとノノ」で知られる名作。盲人の沢市は、美しい女房のお里がこっそりと壷坂寺へお参りに行っているのを知り、ほかに好きな男でもいるのではないかと最初は疑うが、実は自分の目が見えるように観音に願かけに行っていたのだと分かる。真実を知った沢市は、お里に詫びるが、それだけ願っても治らないことに落胆する。妻を不憫に思い、いっそ自分が死んだ方が妻が幸せになるのではないかと考え、谷に身を投げる。谷底に沢市を見つけたお里も、後を追い身を投げる。その谷底の岩屋の奥から観世菩薩音があらわれ、二人の心がけをほめ、霊験によって二人は生きかえり、沢市の目も開く。二人は大喜びして観世音に感謝するという、夫婦愛を描いた目出たし目出たしの物語。最近では中村美律子の歌によっても知られる。 明治期の人形浄瑠璃『西国三十三所観音霊場記』がもと。名人といわれた豊澤團平が作曲。のち團平千賀女夫妻が加筆改作する。 
 
仙台藩伊達家のお家騒動に取材したもの。 奥州の領主は吉原の傾城高尾に入れあげ、領国を顧みないため隠居を命じられ、幼君の鶴喜代が跡を継いだ。しかし、お家乗っ取りを企む一味があるところから、乳母の政岡は鶴喜代の食事の世話も自分の手で行っていた。 空腹を訴える鶴喜代と実の子の千松をなだめていたが、そこへ頼朝の使者として栄御前が菓子折りをもって現れる。鶴喜代が菓子を食べようとしていたとき、端から千松が菓子をとって食べてしまう。それには毒が仕込まれていたため千松は苦しみもがく、それを見た一味の八汐が露見を恐れ千松を刺し殺す。わが子が死んでも涙も見せない政岡。栄御前は、政岡が子どもを取り替えたと思い、自分たちの企みを打ち明けて帰る。しかし千松は政岡の実の子だった。千松は母の教えを守り主君のために命を投げ出したのだ。ひとりになった政岡は千松の遺骸を抱きしめ悲嘆にくれる。 
 
平将門が都を平定したすぐあとの時代を設定しており、それに安珍・清姫の道成寺伝説を取り入れて構成している。 朱雀天皇は病気がちで、弟の桜木親王に皇位を譲ろうとするが、左大臣の藤原忠文は親王を罪に陥れ、追手をかける。親王は逃れて奥州の錦木守のもとにかくれている。そこも危うくなり、山伏安珍に姿をかえて、紀州の真那古庄司のもとにくる。そこの一人娘の清姫は、かつて見染めた男である安珍に恋心をつのらせる。だが、親王には、小田巻姫という恋人がいて、二人は道成寺へおもむく。嫉妬のため逆上した清姫が二人を追いかけていく。日高川にやってきた清姫は、船頭が渡してくれないとみるや、蛇となって泳いで渡る。道成寺へ着いた清姫は身代わりの親王と小田巻姫を殺してしまう。人形芝居では、この日高川の渡しの場のみがくり返し上演されている。大きく口の開く「ガブ」という特殊な首(かしら)が使われるのも見どころ。
 
江戸時代の読本の『絵本太閤記』などから戯曲化されたもの。明智光秀(武智光秀)の謀反から織田信長(尾田春長)が討死し、羽柴秀吉(真柴久吉)が光秀を討つまでの十三日間(六月一日から十三日)を一日一段として順序立てて十三段に分けて脚色している。 通称「太十」と呼ばれるのは十段目、「尼ヶ崎の段」である。尼ヶ崎に閑居する老母皐月のもとへ光秀の妻操が、嫁初菊を伴って見舞いに来る。光秀の一子十次郎も出陣の許しを得るために訪れ、初菊と祝言して出陣する。いっぽう武智方の勇将四天王但馬守に追われた久吉は、僧形となって宿を求めて来る。光秀は跡を追ってやって来て久吉(羽柴秀吉)を討とうとしたところ、誤って母を刺す。久吉と光秀は勝負を天王山で決しようと別れる。 最近は上演されるそのほとんどがこの段に限られ親しまれている。近松柳・近松湖水軒・近松千葉軒の合作で、寛政十一年(一七九九)七月、大阪豊竹座初演。